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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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・本の感想をめっちゃくちゃ丁寧な手紙で貰った・嬉しい
・しゃばけのドラマ録画予約終了時間1時間間違えてた・悲しい
 入り混じってなんだかごちゃっとビミョウな気分。

 かわいいってナンダロウとかいう絶対答出ないだろソレ、みたいな疑問にとりつかれています。や、かわいいなんて超個人的好みに多大な影響を受けるのはわかっておりますけれども。思うに、かわいい男とかわいげのある男っていうのは何か少し、ニュアンスが違ってていいんだとか。

 それで言うなら他がみーんな「かわいげのある男」たちの中でひとり普通に「かわいいひと」であるのがおそらく私のフィンウェさんの認識なんだろうなぁ。腹立たしいね。

 今日の百人一首。

 難波江の葦のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき
 (たった一度で、こうも心を絡め捕られるなんて…)

 作者・皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)。源俊隆の娘で、皇嘉門院の筆頭女房です。実体験でなく歌合せで詠んだ歌。いや実は実体験もあるのかもしれませんが、後世にはサッパリなことでございます。

 言ってることは結構直接的(掛詞でごまかす感じ(笑))。評価的には「女心のあわれさを美しく詠んでいる」とかなんでしょうけど、訳し方によっては「逆ギレ」だったり「絶望」だったり純粋に「疑問」だったりになると思います。今日の訳は「茫然」が正しいですかね。今でもうっかり恋している。そんな自分に気づいて唖然茫然顎然。ままならぬものです。
 「せっせ」にくっつくのは基本的にはポジティブな言語、ってなわけで「せっせと死にかける」(しゃばけ)とか「せっせと逃げる」(最近の脳内フィンウェさん。とたたたたと逃げてくださる)とかが面白いんだと思う。

 ………別にそれで何か訴えたいわけではないのですが、ほらここ、日々あったことじゃなくて日々考えたこと披露するとこであって、そんなどうしょもないの食べてお知恵ちゃん生きてるわけで(げんきー?)(げんきですね…)。

 シルマリルの物語をわかりやすく納得できつつギャグに逃げず口調も砕けず誰かまとめてくださいませんか。はっ!こんな時こそウィキに頼るのか!そうか!!(かたかたかた)………おおぅっ。素晴らしいな。うんアレだな、出典明記してコピペだね。そんな所で時間食ってられるかってぇのだってスタート超遅いし。…自分でも取り掛かりの遅さに呆れちゃうさ。今日また多少ズレて修正してなんとか固まったさ。明日目次だけ見せてみるさ。…資料、資料がぁああっ(頭抱え)。

 うんそれで真面目な話(と言えるのかこの論文、趣味丸出し)の合間にアホウな話を考えるわけですけれども、昨日もブツブツ言ってた、……っとうぉっ!? 先生ダウン!? ちと待てそれって私明日の授業がマルっと無くなったってことじゃん…(今日はなぜか実況中継風にお伝えしております(笑))。えーと。それはいいや(いいのか?)。昨日もブツブツ言ってたどこいってもなんでか子×父はいつでも好きだなぁとかいうの、当然のように下の子×上の子も好きです。普通だね。(普通言うな)

 でですね、前々からあーだこーだ言ってる通り、私の基本考えは「最強を手に入れたひとが最強」ですから「最強と目される左のひとが右のひとにうっかりふらふら逃げられて思いっきり追っかけている」状況で、「逃げている右のひとが左のひとにすごい勢いで追っかけられているのをわかって、「怒られる!」もしくは「きゃああ周囲に迷惑が!」っていう感情でまっさおになって逃げまくる」が物凄く好みにどまんなか!なのは当たり前なんだなぁ…とか。けっこう何のジャンルに行っても一回は妄想してます、そんなネタ。これ、普通ムリだろう!なところまで、例えば特殊能力とか権力とかフルに使って逃げても、左のひとなら何か、いかなる手段を使っても追っかけてきそうで、実際来ちゃった、とかいうのだとさらにずっきゅんです(おい)。

 すぱっと言うなら、フィンウェさんが「…フェアノールが来る;」ってビビってる状態ですね!(笑)ぶっちゃけそれってギャグに走るなら間違いなくマンドスですね!あれ、あのへん私書くとどうもド暗いみたいですよ?…どっかでギャグ書くか。好みだけブチこんで軽~く仕上がるようにうきうきと書くと、書いてて楽しい、読んでもまあそこそこ楽しいものが出来上がります。実はっていうか結構あからさまに自画自賛タイプなので、自分の作品はかなり好きです(わー)。まあ、どうにも嫌いなもんお見せするのは…何か……うん。

 今日の百人一首。

 由良のとを渡る舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋の道かな
 (ああ、この恋はどこへゆくのか?)

 作者・曾禰好忠(そねのよしただ)。あだ名が「そたん」。しまらねぇ~(爆)。これは丹後掾っていう下っ端役人だった好忠さん、苗字が曾禰でしたから「そねのたんごのじょう」を略して「曾丹後」なげーよ「曾丹」でいいじゃん、っつーことだったらしいです。……真っ当なあだ名の付け方だけどなんかヒドい気がするのはどうしてだろう(笑)。ちなみに生きてる間は評価されなくて、後世になって「良い歌だ…」と言われた、という、時代の最先端を行き過ぎて100歩ばかり飛び出てた方のようです。残念だったね。でも芸術家ってそういうひと多いよね。

 ちなみに歌は「やべぇ潮の流れこんな速いのに俺ってば舵無くしちゃったよマジどこ行くのこの舟!?」って焦ってる船頭みたいに恋の道に迷ってます!てな意味。…新しい、かも、しんない(笑)。恋人困っただろーなー?
 あまりに暇だったので卒論のことを考えてみたら、あーらびっくり、章立て終了しました(爆)。でも長いし!書けるのか、私!? 明日も暇だったら中身の方、創作なんだけど創作ならぬ資料の部分考えようと思います。にこにこにこ。微笑みながら立ってるもしくは座ってるだけの仕事です。やりきれない(笑)。

 でドラクエ幸せにやりながら、今でも書こうと思えば書けるっていうかドラクエ二次創作やるなら避けて通れないネタ(Ⅳ&Ⅴコラボネタ(しかも『天空物語』も混じる…))を暇ついでに書き出してみて、ああ、私何も変わってないなぁっての実感しました。

 ………いつでも子×父が好きすぎる(ああもう救いようがない)。それで言えばレゴスラ書いてないですけど、これは単純に、スランドゥイルが好きすぎて書けないだけです(爆)。

 今日の百人一首。

 田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
 (おお、なんと素晴らしい山に美しく雪の降り積もる!)

 作者・山部赤人(やまべのあかひと)。長歌の反歌ですからね。意味はすぱっと。軽く日本語おかしいですが、これくらいの方が、万葉調の元のかたち「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」な感じでよろしいかと。
 『異人の唄―アンティゴネ―』を観て来ました。新国立劇場10周年記念のギリシャ悲劇から3本やろう、という企画、らしい?(わかってないんかい)

 話自体は翻案してあるので全く違うんですけど、しかし、ベースがアンティゴネ。アンティゴネご存知です?オイディプスの娘です。オイディプス…は、マザコンの語源になった男です。……説明しようかと思ってちょっと確認のためウィキ見てみたんですけど、なんてーか、ソポクレースの「オイディプス王」の要約の部分、…非常~に訳し方がシルマリルちっくっちゅーか、ぶっちゃけ私がメルリンダレ書く時に意識してる感じの…訳だー(笑)翻訳って、それしか訳し様の無いものがありますよね。「なんとなれば~」とか。好きですけど、何回も出てくるとクドい…。

 じゃなかった。んで、オイディプスの娘アンティゴネ、このひとの話は言うなれば「人間としての情」と「人間の決めた法」との対立みたいな感じなんですね。これに本当は信仰、神への義務、そういったものが絡むはずなんですが、私よくわかってません(おい)。で、アンティゴネの話っていうのは定められた死を語るものであるからして…ド暗いです。…でもギリシャ悲劇ならマシな方なのかなぁ。でもでもでも、アンティゴネ、そもそも生まれがあのオイディプスの娘ってことは生まれからして呪われてるわけで(あの兄妹4人全員そうだけどな)、う~ん、でもオイディプスの方が悲劇な気が…とか、いろいろ考えてしまうわけですが。

 それはともかく、今日のはまたごちゃっと混ぜた結果ワケわかんなくなってました。どのひとが誰にあたるのか、よくわからん…。まぁわからなくって良いんですけど。話自体は閉鎖的な「村」という環境とよそ者の慣習対決みたいな感じで、そこによそ者の子供(異能者)としてやってきたスゴい歌手とその家族の因縁がぐるんぐるんとして…。結局ワケがわかりません(笑)。ともかく、最後の唄がすごかった。すごかったとしか言えない…。

 ああもう、今日ぐっちゃぐちゃ(笑)。

 あ、ひとつ、宣伝でっす!JK姉の友人、「ellie」さんが『日産CUBE CMソングアーティスト オーディション』に出ます~。土曜(24日)つまり明日のテレビ東京の『イツザイ』に(深夜24:55~)から。↓
http://itsuzai.com
 なんか、投票もあるようなので、気が向いたら投票してもらえると嬉しいです♪
 エリーさんの歌声、JK姉も大好きですが、私も大好きです。いや~、いい曲書かれるんですよ!よろしくです!

 今日の百人一首。

 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
 (長く長く生きてきたけど、友を亡くし、今はひとり!)

 作者・藤原興風(ふじわらのおきかぜ)。歌意がなんかちょー微妙ですね(爆)。これは興風さんが年取ってから詠んだ歌なので、「時は過ぎ去り、今は誰を友としよう!同じく長生きしているこの高砂の松ですら、昔からの友ではないのだから…」みたいな気持ちが正解です。さみしいよー。死に遅れた感じ…。そんなんです。

 興風さんは、古今東西、カノジョの質問ベスト5くらいに入るであろう「私のこと、どのくらい好き?」に「田子の浦に立つ波の数くらいだよ!」と答えた野郎です。なかなかやるな(笑)。しかし、今まで読んだものの中で最高に好きな答え方は、魔女の宅急便のとんぼさんの答え方です。通じ合ってるね!うん(ひとり納得)。…ていうか百人一首からはズレにズレまくっている…。


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