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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 フィンウェさんがゆたんぽ開発する原因になった月に一度のまっかっかなお客さまに苦しめられています。ちくしょう心配ごとがひとつなくなったとたんとは私の身体も随分ゲンキンだなぁ。

 でも薬に頼りたくないっていうか頼ろうにも薬がないっていうか、やっぱりゆたんぽを…

 そんなわけで今ひじょーにさみしがりな気分ということで、っていうかアレ出すんじゃなかったとか後悔したりとかなんともグルグルしておりまして、誰かとおしゃべりしたいっていうか、チャットやっていいですかねぇ(そこか)。

 むしろあのネタはアリかナシか気になって仕方ないというか(ぶつぶつ)

 今日の百人一首。

 世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
 (山の奥なら辛いことから逃れられるかもしれないと思ったけど、鹿にさえ辛いことはあると見える!)

 作者・皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)。藤原俊成です。道長の子孫ですけど全然出世しておりません。今日の歌は親しい友人がばかすか出家していくので寂しがって詠んだもの。山の奥に入ったって鹿の鳴き声も辛そう。この世は辛いことばっかりだー!ってか。出家しようかなぁとかも思ったんですが、定家はじめ家族がたーくさんいたので思いとどまりました。

 俊成のあだ名は「桐火桶の体」。超考えて歌を詠むひとで、しかも桐火桶の傍に座って、火桶かかえこんで「うー」とか「あー」とかうなりながら一生懸命歌を考えていたそうですな。それをからかわれてのあだ名でございますが、今まさに火桶を抱えたい気分の私には笑えない(爆)。うーうーうーうー。
フィンウェが占ってあげるね。

今日は「フィンウェ運良し」だよ。
一番のフィンウェが片付きますでしょう
 ………ワタクシの一番の謎物件フィンウェが片付くそうですよ(爆)。
 まぁ、いっか。運がいいのなら。
 片付くわけない気がするけど。 
 ギルガメシュ叙事詩を読み返したらなんかフィンゴンが書きたくなった。なんでかなぁ。しかしどー考えてもフィンゴンはギルガメシュでなくてエンキドゥな方ですよね。あ、そしたらギルガメシュはあれか、マエズロスか。……ぷっ(何が!?)。……しかしそれで言うならばものすんごくソフトにしたエレシュキガルとネルガルなんかは私の中のフィンウェさんと「妻」なのかもしれない。

 一番の懸案事項が片付きました。わーい、就活終了だよー!これで4月から路頭に迷わなくっていいよー!(うふふ)

 というわけで本当に本気で卒論書かねばなりませんのに脳内を踊るのは求婚話、何はなとくとも求婚話、いつでも書きたい求婚話。大好きだ。…いっそ卒業制作にすっか?(ぼそ)

 今日の百人一首。

 ほととぎす鳴きつる方をながむればただありあけの月ぞ残れる
 (ああ、もう…いない)

 作者・後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)。藤原実定です。定家のイトコ。平家物語にはイヤな奴として登場しますけど、文献によってはいい感じのひとだったり。あーだこーだ言われてるひとです。

 さて、今日の歌、鳴いたと思って見たらもういないしー!って状況なんですけれども、当時はほととぎすの明け方の第一声を聞くのが通のやること、一流の風流でありました。というわけで皆徹夜して今鳴くか今鳴くか…と待ちわびるわけなんですけれども。そうまでしたほととぎす、鳴いたぜ!そっち見たぜ!もういないぜ!の三段構え。まーなんとも楽しい歌ですこと!しかも残ってるのは「月」。実定さんうまいです。……ほととぎすの鳴き声のために徹夜してそうなったんだったらかなりがっくりな気もしますけど…。

 ほととぎすといえば有名な句がありますね。信長・秀吉・家康の性格の違いを表すみっつの句。あれは現代人に言わせれば「鳴かぬならそれでいいじゃんホトトギス」だそうですが…。うん私も「それでいいじゃん」派だ…(笑)。間違っても第一声を聞きたいがために徹夜とか、しない。しないしない。実定さん、がんばっちゃいましたね。
きょうフィンウェがフェアナーロは影響された!

*このエントリは、ブログペットの「フィンウェ」が書きました。
 予告なしに日記サボったの久しぶりかもしれません。色々ありまして。なんていうかもう躁鬱躁鬱鬱躁躁ってな感じでめちゃくちゃなテンションな数日間でした。ふい~。ともかくも、明日過ぎればどう転んでも一旦落ち着かざるを得ないので、真剣に卒論書くしかありません。ってかまだ書き出してないってほんとどういうこった。考えてはいるんですが。うーあーわーぎゃーほぎゃっ!!(意味不明)

 こういう状況に陥って頭カチ割りたくなるのは別に珍しいことじゃなくて、なんかしっくりこなくて色々やってても微妙な時とか心配ごととかある時、もー超普通に起こるんですね。私昔っからなんかグルグルする質のようで。でもここ数年はそれがなんか体に出てきてヤな感じです。前からおなか弱い子ではあったんですが最近とみに壊しやすいし、ちょっと前は吐き気がするのにスッキリしないからって蜜柑なぞ3つばかり詰め込んでみまして無理やり出すとか相当大胆なことしたりしてました。間に合えばいいとか出しゃ治るとかすっごい大雑把すぎて自分でも嫌な時あるんですけど。薬頼るの嫌いなんですよ…。だから今度ゆたんぽ買おうかなぁとか(どこからどう繋がる)(爆)。

 今日の百人一首。

 高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ
 (うーん…霞がなければ最高の桜なんだけど…)

 作者・前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ)。大江匡房です。学者です。4才で書を読み、8才で漢学史に詳しくなり、11才で漢詩を作って天皇に捧げたら奨学生になれたとゆー絵に描いたような「デキる子」ぶりを発揮してたりします。普通、学者ってのはあんまり出世しないんですが、匡房は参議になったり権中納言になったり、めったにない出世ぶりでした。それもこれも「宮中なんかやめてやるっ!」ってなった時にあの“三船の才”源経信に「そんなこと言うなよ。ここでやめたらお前の才能ムダじゃんか」と言われて思いとどまったおかげだそうですな。長く続けるのが大事ってことですかねぇ。

 今日の歌は内大臣に招かれて詠んだものです。遠くの山では桜が美しく咲いている春の日。しかし、京都は盆地でして、よく霞がたちます。ああもうっ、また霞たっちゃった。せっかく綺麗な桜なのにぼやや~んとしちゃってちょっとヤな感じだよ。霞よたつな!そんな歌です。うららかな春って感じで良いですな。


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