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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 鬱屈した心のどこかで晴れやかな幸せを常に感じるのが間違ってるとは言わないけど、それってすごく、疲れると思う。だがしかし基本理念としてあるのはヒトというものは相反するものを常に抱え込む存在であって、それの発現の仕方は生まれ育ち何を見て何をしたかが決定するところ、というそれ。理想論であるがゆえに、語ることはできても説得力は夢のようなそれ。そして現実では全く役にたたないそれ。

 うん、思索のみに生きられたらどんなにか幸せだろうか。

 あいにく思索にふけるだけで生きていける身体ではないし、時間もないし、そうする気もない。思索だけだったら楽だ、というのもやりたくない理由のひとつ。楽なことばかり選んではいけない。

 で、教材研究で梓弓などやっておりますと、この時の男の心境でぐーるぐるぐーるぐる悩んでしまうわけでもう。ああ全く古典は奥が深いさ。未練があったのかさっぱり切るつもりなのかそして縒りが戻ったとしてこの夫婦は続けられるのか。3年は短すぎるのか長すぎるのか。求婚されるあたり女は魅力的なはずで、置いていった男は、そして帰ってきた男はその心境はぁあああ!とりあえず「この戸開けたまへ」で即座に「エリザベ~ト、開けてく~れ~♪」を思い出してしまった私って、骨の髄までヅカファン(爆)(だってだってだって)。

 ところでドミトリー効果って、原始時代の名残だそうですね(いきなり何の話)。あ、ドミトリー効果ってのは同性と共同生活(母・姉妹・もしくは寮などなど)したことあるひとは経験上感覚上知らなくてもわかってることです。生理は伝染る。ってことはむしろ湖世代の女性は本気で周期が同じだったりしないか。というよりもクウェンディ女性は本気で周期が同じなんじゃないか個人差数日とかいう勢いなんではないか。で、であるからしてだからこそクウェンディには繁殖期(春)があると、そういうことだったりしちゃわないか。うーわー。だって原始時代に周期を合わせて何の得があるって、狩猟から帰ってきた時にすかさずこどもを作るとこ、集団の中で同時期に生まれればいっぺんに面倒みれてちょうどいいとこ、そこですねー。アマンに来たら周期が個人別になってきたとか、そういうこと、あったりしないか…(笑)。でもやっぱり繁殖期(春)にはなんとなく気分が浮かれる彼ら(あーははは)。
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