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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 論旨はいつもにもましてぐちゃぐちゃですが、出さないとスッキリしないので、とりあえず…書く。

 ノルドールはフィンウェさんから父系になった気がしている。っていうか、正確に言えば、クウェンディは3使節から父系になったんだろうなぁっていう感じ?そんなことを考えたのもフィンウェさんとフェアノールの親子関係って、やっぱり何か決定的なズレというか溝というか壁というか、超えられない何か認識のズレがあって、お互い矢印向いてるのにも関わらずしっくりこない、ぶつかりあうかズレるかどっちかしてどっちも満たされない、状況に陥ってしまうのだな、と思ったのがはじまり。

 フェアノール幼少期から再婚までのフィンウェさんって、だいぶ母親的に接してたと思うのですよ。んで子離れのタイミングがまたサイアクな感じで再婚でしょ。その後は公的なとこじゃなくて私的なとこで父親的だったり母親的だったりする感じ。正確に言うなら、インディスのこどもたちには純然たる父親してるのに、フェアノールがくると途端に母親化しちゃうんだよ。あ、この場合の父親的母親的というのは「ガッコウいきたくない…」って言ってきたこどもに対して「君の将来を思えば今イヤでもなんとかして行っときなさい」って言うか「行きたくないなら行かないでいいよ(ぎゅ)」って対応するか、の違いですね。密着度ともいうかな。

 「溺愛」って言葉は物凄く母親的な言葉だと思うのですよ。そしてろめのフィンウェさんがフェアノールを溺愛しているか、と言ったら答えはおおむね否。あれは溺愛ではありません。いつだってあのひとは、こどもからしたら実に気まぐれな不思議な愛情しか与えてくれません。いつだってあのひとは、フェアノールにしてみれば、それが日常だったから理解するも何もないけど、傍からみればとても気まぐれに対応が違います。今日は父親的だった。今日は母親的だった。フェアノールがちっちゃい頃は父親的なところを「公的」に預け、「私的」なところは前面母親的、だったと思うんですよね。ここですでに軽く二面性なひとでしょ。これがインディスと再婚後はあのひとは「為政者」であり「父親」であり「母親」でありそして「甘えるこども」でもあるんですよ。四面できちゃったー。

 で、ずっとそんな親に育てられたフェアノールがフィンウェさんを「世界」扱いするのはある意味で当たり前なんじゃないかと思うのよね。彼、天才だし。フィンウェさんはいつだってフェアノールの「自分以外のもの」との接点であり続けたけれど、そうなって揺るがないわけではなかった。むしろ常に揺らぎ変化し、気まぐれに予想外に対応してた。フェアノールにとってはそれが日常だった。この何とも定義しがたい相手、血縁では父親である相手、様々に変化するこの相手を何という、と考える間もなく、これが世界だったわけです。日常、世界、卵の殻。フェアノールはそれしか知らない。親とか保護者とかそういう概念を知る前に、フェアノールはフィンウェさんを「すべてのはじまり」として認識してしまった。そしてそこから出ようとしない。出方を知らないのもあるけど、何よりまず出たくない。だって出たら「世界」が壊れる。出方は知らないけどわかってる。世界が壊れるのもわかってる。

 一方フィンウェさんの観点というのは「○○らしくしなくちゃ」がかなり多いと思う。父親らしくしなくちゃ。母親代わりにならなくちゃ。ちゃんと王さましなくちゃ。誰も「そんなんどーでもいいよ」って言ってくれなかったし、例えそう言われたとしても深い罪悪感(もろもろ)を抱え込んでるフィンウェさんは休むことはできません。そしてなまじ頭が良かっただけに、未来予測は非常に細かく考えられた。後先考えない、ってことはあのひとに限って存在しない。やたらと計算高いんです。おおむねは。

 そしてその知恵が彼を滅ぼす。

 そんなあのひとも「考えられない」ことはあるわけで。その中のひとつに「フェアノールと色恋沙汰になること」ってのが含まれてたりする。これは相手が息子だからとかそういう理由じゃなくって、フェアノールがフェアノールであるなら(これの定義も非常に難しいところだ。だって、フィンウェさんの息子じゃないフェアノールって、ちょっと、考えづらいのだ)その時点で「恋愛」からは範疇外。ものすごく極端なことを言えば、息子じゃなかったらフェアノールを愛せないひと。それがろめのフィンウェさんです。で、息子だから愛してて、息子じゃなかったら愛せないんだけど、息子であろうがなかろうが、身体の関係は範疇外&むしろ想像すらムリ。キスはオッケーなくせに(爆)。キスまでかこんちくしょー。

 今日の百人一首。

 人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は
 (世の中つまんなくってやり切れなくてイロイロ悩むこと多くってさー…
 おかげである時は人恋しいんだけど、ある時は人がウザくってさ…もーそんな自分ちょーヤな感じ)

 作者、後鳥羽院(ごとばいん)。後鳥羽院は新古今集作らせたひとですね。間違っても↑みたいな軽いノリではありませんでしょうが(爆)でもすっごい気ィ強いひとだったらしいですよ?そんなひとは自嘲もなんか迫力ありますよね。まぁこの歌の主旨って「世の中うまくいかねーよ!イロイロ悩むよ!」です。今の私じゃん(爆笑)。

 ちなみにこの歌2句切れで、倒置になってます。文章そのままにするなら「あぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は人もをし人もうらめし。」ってことになりますね。人もをし、の「をし」は「愛し」です。いとしいかわいいだいすき。うらめしはそのまんま。
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