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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 神奈川県民ホールまで『ダル・レークの恋』を観に行ってきました(あんたそんな…)。月組の全国ツアーです。あさこちゃんです。みほこちゃんです。ゆーひさんです。うっきうきです(おい)。

 実は、も何も『ダル・レークの恋』という演目はかれこれ10年ばかり前に、東京宝塚劇場建替え中のために帝国劇場で、星組の本公演として観たんですけど…。………11歳そこらの私はこの話を正確に(?)理解していたわけではなかったということが発覚しました。そうか、こんな話だったか。…こんな分かりやすく王道で、面白い話だったのか…(目から鱗)。

 いやね、そりゃ主要キャストが10年前より今の方が好きとか、10年の間に私の芝居食い度もあがってますし、物語書き始めましたし、何かと成長したって証なんですけど…。あ、でも基本的感想は変わってないんだよね。この話って、ローエングリンでつるにょうぼうだという(はぁ?)。

 つまり、「正体がバレたら去らなければならない」というアレです。おとぎ話には基本的な制約。神話にも共通しますが。

 でも今回観て思ったのは、「なぜ」去らなければいけないかが分かったなぁ…ということ。だって、「王族の尊厳」対「人間の尊厳」ですよ。人間の尊厳の勝ちに決まってますやん。去らなければなりませんよ。たとえ今もなお愛し続けていようとも。むしろ、今もなお愛し続けているからこそ。

 身分がどうの体面がどうのと言う感覚は「変だ」と思うのが主人公ラッチマンの感覚。対するヒロイン・カマラ姫はそういうのを「変だ」と思う素質はあるけど、長女で超王族な育て方をされてるから、周囲に言われたらそれに従っちゃう。自分の意志を貫き通せない。でも素質があるからラッチマンはカマラを愛するのです。

 ラッチマンからすれば、カマラ…このひとは自分と同じ感覚を持っている。ぶっちゃけ駆け落ちしたい。だから自分がどんな奴であっても愛してほしい。実は本当の身分はあなたと釣り合うどころかお釣りが来る家柄なんだけど、そうじゃなくって、例えば平民でも、例えば詐欺師でも、それでも愛してくれる?そんなことは関係ないと言える?と、聞きたい。そして「勿論!」と答えてほしい。カマラは勿論、と答えられるひとだと思ってる。

 だけどカマラは今まで一度もそんな教育を受けてこなかった。長女で、王宮の女官長となるべく厳しく躾けられた姫。そんな姫の初恋(なんだろうなおそらく)。恋する感覚(つまり培ってきた「理性」の抜けた状態)では「勿論!」と叫びたい。っていうかあの瞳は反則だみほこちゃん!そんな、常に「愛してる!」って叫んでる瞳!(そう思えちゃう感じなうるうるおめめ)だけど彼女には親族のものすごく「王族的」なプレッシャーがあって、すぐ下の妹ほど自分の気持ちに正直になれない環境。

 カマラが傷つけられたのは「王族の感覚」。だけどラッチマンが傷つけられたのは「自分、という人間そのもの」。そりゃ、縒り戻せと言われてはいそうですかと戻せる?無理だよ。むしろそれは、カマラが相変わらずマハ・ラジアのお姫様である以上、絶対に、無理、だよ。……でもマハ・ラジアのお姫様でありながら自分と同じ感覚になれるカマラだからラッチマンは好きなんだけどね…(親族がこれで安心とやいのやいの言う中で、カマラだけが傷つけたことを悔やんで(傷つけたと理解していて)今さら手のひらを返すのを後ろめたく思って、なかなか目を合わせられないあの感覚)。

 去り行くラストは正解なのです。むしろ、あれ以外に物語の終わりはありえない。そしてカマラはラッチマンを捜し始めます。…あれが「お姫様」でも「お嬢様」でもなく、何もかもを捨てて、ただのカマラとして捜した時に、初めてラッチマンは見つけられるのでしょう。そして駆け落ちなんだろうなぁ…。

 ああ、すっごく単純で王道な話だった(そして私の好みだった)。

 あー、楽しかった。さて指導案書くか。
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