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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 ゼミ誌の原稿タイトルを「架空論文」にして、架空の作家の架空の作品を論じた架空の人物の論文形式にして、ついでに作品も書くというのはどうだろうか…。そこまで凝る時間がないかしら?

 いやね。卒論の予行演習みたいな感じで論文を先に書いてたら(その時点で相当間違ってる)…なんか、すっごく楽しいんですよ。架空論文。なんでしょうねぇ…。何が原因かはよく分からないんですが、引用しつつ(引用も何もだからまだ書いてないんだって…)これは○○であり、××は△△で…とか書いてるのが、もうめちゃめちゃ楽しいんですよ!(そんなところで快感見出してどーする)

 例えばですね。

 ………『12章、フュイとマンドスのこと』においてエイセルロスはフュイとマンドス、すなわちニエンナとフェアントゥリ兄弟と出会うこととなる。特にニエンナの元で彼が学んだことは実に多い。この章で『メルリンダレ』というタイトルの根幹となる『愛』の概念とエイセルロスの別名である『ローメンディル』が初出する。『愛』の概念は、淋しさであり孤独であると位置づけられており、更にエルダールの『時』の概念を正しく認識しなおす経験が、これより後のエイセルロスの性格や振る舞いに大きく影響している。だがこの章ではその変化は示唆されるのみで、はっきりとは描かれない。彼のその概念や思想がはっきりと現れているのは『13章、別たれた者たちのこと』においてのノルドールの王フィンウェへの慰めや、『18章、東への海のこと』において、テレリの王オルウェへの懇願である。13章にてエイセルロスは妻を喪ったフィンウェ王の元へやって来て、自らの妻への思いや中つ国への憧れを語る。そして最後に彼はこう告げる。『哀しさにも寂しさにも目をつぶり、顔をそむける必要はありません。時が全ての傷をいつかは癒すでしょう。その時まで我らは待つのです。無限の時が、我らに与えられたイルーヴァタールの恩寵なのですから』これはかつて彼自身が経験したことであり、彼がどうやってそれを乗り越えたかを語る重要な言葉として挙げられるだろう。………

 こんな風にですね!(爆)

 ああ楽しい。架空論文。わかりやすくするためにまだ書いてないメルリンダレで一発でっちあげてみましたが、こういう感じで解釈及び分析(もどき)をしてみるのも、脳の体操にもプロットの変更にもいいのかなぁとか思ってます。ちなみに↑のは間違ってないんですけどね。そんなにハッキリ伝わらなくってもまぁいいかぁな雰囲気でいっつも書いてるので、こんなにみっちりアレコレ考えて伏線張って展開考えてるわけではありません。どっちかっていうと、シーンが浮いてきて、あれー、コレなんでこーなったの?って理由を考えていくとこうなる、とかそんなアバウトな作り方なので。メルリンダレもね、いい加減に止めてないで進めたいんですけど…。ニエンナさまが難しいです。くぅ。

 …つまり、私は大真面目な顔で信じ込まれるくらいに気合を入れて大ボラ吹くのが大好きだってことですね。…そうだろうな。よし。論文の段階で皆を騙せるようにがんばりたい、と思います。
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