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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 ……今じゃもう古い表現のような、しかし非常に今でも良くわかる表現なのは何故だ。100の質問の前半と後半の間に1年とひとつきもの時の流れが挟まってるって、どういったトンチキ野郎の所業でしょうか。私です。わかってます。すいません。っつーかキャラ変わりしてないか軽く不安です。

 昨晩、日記サボってまで早く寝たのにも関わらず、深夜に蚊の襲撃を受け魘され(爆)、結局朝一度起きたのに珍しく二度寝し、遅刻するかと思いました。チクショー蚊め!滅びてしまえ!時折Gのつくあいつより憎くなります。今そこにある憎しみ。ぎりぎりぎり。

 そして魘されまくった挙句に起きたら、熱がありました。私平熱低いわ冷え性だわで、冬に近づくとそりゃもう笑えるくらい血のめぐりの悪い子になってるんですけど、…これが指先までほかほか。良いんだけど良くないっていうか…。軽くふらふらしながら今日を過ごしたのであります。

 で、考えてたんですけど、アマンにおけるエルダールの「病」概念って熱があるか熱がないかの二種類しかないのかもな、とか思ったり。熱があるのは分かりやすく病っぽいですよね。平生とは明らかに違う。熱出ればそりゃくらくらもふらふらもするだろうし。怪我したら大体熱が出ますし。っつーか人の子とは多少理由が違うだけで、クウェンディだって熱出すことくらいあると思うんですよ。耐性はあるでしょうけど。耐性っていうか…まあ、ちょっとやそっと寒くなったくらいじゃ風邪みたいな感じにはならないと。そういう病気はまずなくていいんですよね、クウェンディ…。

 だったらやっぱり怪我由来か、クウェンディ特有心の病、かと(笑)。ぶっちゃけ恋の病は熱が出る方向で(爆)。

 そして熱がない。これはこれですごく問題だと思います。何が言いたいかと言うと、熱のない(低い)身体って何を想像します?私は死体を想像します。ということは、クウェンディ特有悲嘆の病、別離の病はおそらく、熱が出ない方向で病なのではないかと。

 どちらにせよクウェンディの「病」というのは「心の在り様」が原因で起こるもので、それが身体の現象になると「熱」でいいんじゃないかと思ったんです。燃えてりゃちょっとマズいけどまあ元気方向だからいいんじゃない?んで、冷たかったらうぉおおいちょっと待てマズいよその方向!ってな感じ。

 わー、今日も論旨がぐっちゃぐちゃのトンチキ野郎!かんべんしてください。

 今日の百人一首。

 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
 (冷たいあのひとの心を吹き寄せて欲しいとは祈ったけれど、ああ!はげしく、冷たく、つれなくなぞとは祈らなかったのに!)

 作者・源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)。一昨日の俊恵さんの父君です。っていうかコレ、恨み歌です。珍しいな~、男性でこんな「くやしいっ」系の歌(笑)。俊頼さんはある日、奈良の初瀬山にある長谷観音にお参りに行きました。で、観音さまにお願いしたことには「どうかどうかあの全然靡いてくれないあのひとの心が僕にそよそよ~と吹き寄せますように!」が。そう祈った矢先にぴゅーと冷たい風が俊頼さんに吹き付けてくるじゃないですか。ぎゃー。なんだよーもう!観音さまもあのひとも冷たいってことか!?

 で、のちのち「全くあの時はほんと冷たくて酷かったさ」とぶつぶつ詠んだのが本日の歌です。ていうかこんなの百人一首に採ってよかったのか。俊頼さんは5番目の勅撰和歌集「金葉集」を編纂してるひとで、当時ナンバーワンの大歌人、歌合せの審判とかもバカスカやってたようです。…で、ほんとに、こんな恨み歌でいいんだろうか…。

 ちなみに長谷観音は平安時代、女性に人気の寺でした。縁結びっつーか「あのひととうまくいきますように!」とお祈りする所といったら長谷観音!みたいなノリで。…アレですか、俊頼さん、男だったからダメだったんですかねぇ…。
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