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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 よく考えなくても、私は舅と婿の関係を見たことがない。なぜなら父方も母方も、祖父に会ったことないから。ちっ。だから私は多大に「祖父」なる存在に夢と理想と希望を抱いている。父上に長生きしてもらいたい。いつか娘か息子に「おじいちゃん家行こうね~」とか言いたい(笑)。そしてわが母上は姑との関係がすこぶる良い。非常に良い。良すぎる。だからでしょうな、私、身内で仲悪いのって、書きにくい。むしろ特にこうしようとか決めないで身内の関係考えると、ものすごく仲良くなる。兄弟間もまた然り。だってウチ、姉妹間の仲すごーく良いもん。やっぱなぁ、体験してない関係性って書きにくいよ。私って案外体験型で文章書いてるなー、などと、そんなこと思ったりして、…やっぱり今日もぐるぐるぐる。

 それはそうと本格的に『楽園の東側』ネタが止まらないんだけど、これってさっさと書いてみるべき?

 今日の百人一首。

 浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき
 (忍んで、忍んで、忍んできたけれど、ああ、もう耐え切れない、どうしてこんなに貴方が恋しい!)

 作者・参議等(さんぎひとし)。源等です。嵯峨天皇のひ孫。家柄のわりに出世がおそおそで、60過ぎてからやっとこさ参議になりました。今日の歌はそんな等が若かりし頃に詠んだもの。

 この歌は本歌取りです。本歌は「浅茅生の小野の篠原しのぶとも人知るらめやいふ人なしに」(私がこんなに激しくあのひとを恋い慕っていることを、あのひとは知らない、誰も伝えるひとがいないのだから)。上の句がほとんど一緒ですよね。「忍んできたけれど」にあたる部分。意味は「低い茅の生えている野の篠原の「しの」という言葉じゃないけど私は「しの」んできたんですよ」という掛詞なんだか序詞なんだか微妙な感じのものです。要は「忍ぶ」を強調してるだけ。まぁ歌という形に詠む上では非常に重要かもしれません。

 これって恋愛の開始にちょうどいい歌ってことで良いんですかねぇ。平安時代のこと、ほとんど外に出ない女の人からすれば、「好き好き超好き大好きですっ」ってストレートに告げられるのはちょっと安心?良い男が通ってナンボですからねぇ…。
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無題
経験関係については談義したいので暇になったらしましょう是非
2008/01/01(Tue)03:27:31 Edit
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