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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 『相手を客観的に見る目を失い、むやみにかわいがること。盲愛。』

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 ごめん、私、溺愛って多分、書けない。

 というかアレです溺愛されたって嬉しくないと思うから。だから書けない書きたくない。書くとしたら溺愛されたこどもの不満な話になると思います。不満だもん。不満だよ!客観的に見てなくて、いったい何で可愛がられてるというんだそれは!?いや、存在そのものを愛してもらえてるのはそりゃ嬉しいが、だがしかし、うん。

 以前このタイトルで日記を書いた時(それは2007・10・15でありましたが)答の出てなかった問題に今直面していて、ちったぁ成長したのか私がインディスについて考えられるようになったからなのか、ミーリエルとインディスの関係というものは固まりそうです。だからフィンウェさん考えてるとめんどくさくなるんだよ。省け。うん。それがいい。

 で、溺愛っていうのはやっぱり通常だったらフィンウェ→フェアノールに形容すべきところなんでしょうが、なんかダメです私溺愛書けません!あいつが客観的な視点を失うなんてことあるのか?うん?どうなんだ??ないんじゃないか??例えばあったとして、しかしその「溺愛」はフェアノールの幼少期、ほんとに記憶に残らないくらいの幼少期、もっと言えばフェアノールが生まれてでもまだミーリエルが生きていて、っていう時間軸にしか存在しないのではないかと思うわけです。だってあの時点でしか満たされてないわけで心底幸せだと感じてバカみたいにそれに浸っていなければ客観的な視点というものが捨てられない、無くせるわけがない理性、それがフィンウェさんだと思うわけです厄介だな好きだけど!

 ……相手を客観的に見る目を失って「むやみやたらに」かわいがるって…すごい難しいことではないかと思うわけですよ。で、不満だというのは、それってつまり人形扱い。相手のこと丸ごと無視。無視でありつつ相手のこと全肯定。でありながら全否定。うわぁああなんて奥の深い言葉だ溺愛。まあ愛で溺れさせるわけですからね。すごいですよね。すごいです。
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