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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 稼ぐ心配も暮らす心配も仕事の義務も何もない太平楽な身分の学生が学問に生きて何が悪い。という実に傲慢な開き直りの元に今日も今日とて、絶対そんなこと考えなくても生活には支障がないどころか、まさに飢えて死ぬという状況に陥ったら「それ(思考していること)って食べられるの?食べられないの?」という疑問に対して「何も食べる役には立ちません」と答えて「そんな無駄な労力を使うな」と怒られそうなことばかり考えていました。

 なぜ日本は義務教育で古典(古文・漢文)をやるのだろう。

 ええ何気に中・高両方の教員免許なんぞとってしまったからには私、中学で教える可能性も無きにしもあらずということで、義務教育ですよギムキョウイク。…いえまあ、それは直接のきっかけではありません。

 万葉集読んでたんです。んで、すっごい素敵な贈答歌を見つけて、あーこれフィンウェさんとミーリエルで書きてぇな、と思って、書くことにして、ネタとしてメモったり直したりいじったりイロイロしながら思ったのですよ。

 湖の言葉を私は「古文」としてとらえてるわけで。古文、古語。ギムキョウイクでやるから意味が完全にわかるとまではいかないまでも、少なくとも古語で書かれたものを日本人は一度は読んでいるというわけで。……しかしこれ日本の話。外国って、それって、やるの?

 例えば英語圏で、まあイギリスとして、イギリスで中学校までにベイオウルフとか、そういう古英語で書かれたものを読むってこと――するんだろうか?それとか、日本人が「漢文」としてやるアレ、あれを今中国人が読んだら、すらっと読めるもんなのか??

 なんか、そう、言葉の仕組みが違うんだから一概にはいえませんけど、……外国での「古文」というのは、ふるい言葉に興味があって勉強したいなーって思ってる子が大きくなって高校か大学で初めてとっつくもの、な気がする。それこそ読めなくても知らなくても、生活には何ら支障がないような。

 それって、日本の国語は「国語」であって「日本語」ではないからだろうか。「国文学」であって「日本文学」ではないしな。

 もう考えたって答え出ないんで放っておくにしても。ウチのエルダールが和歌を詠むのはどしたらいいんでしょうねい。どんな位置づけだ。詩の一種で良いのか。そんなこと考えたら教育過程も考えなきゃならんしーーー!(ほら読み書き習うってことは計算も習うってことでねー!)
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