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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 ………そんな頃、ライトノベル作家になりたかった。んでもって今もなりたい。別にライトノベルがライトって名乗ってようが作風はコアでディープなままってのはありえることで。いやライトノベルは名の通りライトなものになったよなあって思うんだけど。ライトノベルがまだそういう名前のついてなかった頃。ジャンルで言うなればあれはもしかして少女小説だったんだろーか。少女趣味な少女だったからなあ。今も少女趣味は治りようがないけど。

 私はそろそろ15年ばかりタカラヅカのファンであるわけだけど、ライトとコアって話で言うなら、あの劇団ほど「どコア」イメージを世間に定着させっぱなしで今現在の芸風はむしろライト、そして昔ながらのディープでコアなファンを逃しつづけている団体もそうそう無いのじゃないかと思う。何やりたいんだかサッパリわからん。まあ、好きなうちは観るけど。それともあれって「どコア」イメージじゃないのかなあ。むしろ「古いライト」なイメージなのかなあ。ある意味でディープだけど、根源的なディープとは違うと思うんだよ。まあ、いっぺん生で観てみなよ、面白いから。とはいつでも言っております。

 ネットが世界を覆って、誰もがお手軽に言葉を発信できるようになって、なぜか世界は余計にみんなひとりになってしまった気がするのです。聞くひともいない、けれど発信者にとってはどうしても必要で投げかけた言葉と、聞くひとはいるけれど、それをわざわざ発信する必要は本当にあったのかという言葉と、どちらも結果は受け手にとっては無意味になりました。それでも虚空に向かって話し続けるのは、それはきっと虚空ではないと信じているからなのです。誰かたぶん聞いている。なら私はそのいつか聞く誰かに向かって話してる。

 考え方ひとつでひとりでもあるしひとりではないこの世界。室町の無縁は無縁という縁でありました。現代の無縁は…?けどそれって本当に無縁なんだろうか?生きているだけで無縁ではないのに、それに気づかないだけではないかな。そう思うのはお前が恵まれているからだよと、そういうことは分かっています。お前なんか知らないっていう絶縁が通用するのはお前を知っている前提があるからで、お前を知っているならもう無縁ではないのでは?とか埒も明かぬ反語レトリックをこねくりかえす夜。

 昨日はべろんべろんに酔っていたので何もかもを割愛しました。今夜は全く酔ってはいませんが、言葉を投げかけたい夜ではあるようです。
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