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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 出典が思い出せない台詞その1。

 先日まで友人にフィンウェさんは誰かって言うのに「アルウェンの大雑把に言って6代前のご先祖さま」と言ってたんだが、今日ふと母方からいけば「4代前」で済むことに気が付いたっていうか深く考えれば全くもって傍系扱いなんだから「けっこう前のご先祖」で済ませればよかったと後悔。

 そして今日改めて友人にぞっこんぶりを認められ末期症状だと断定。「どうせ私はフィンウェさん憑きだよ」と言ったら「うん。否定しないよ☆」とか返された。末期だ。愛を叫べと言われてイヤだイヤだと言っていたらうっかり出席票を出し損ねそうになる大間抜けぶりだ。嫌だ!末期手遅れ処置なしカウントダウン真っ盛りでも、素直に認めたら負けた気がする!いや負けっぱなしの負け負けなんだけどさ!ああああ悔しいんじゃばか――っ!

 フィンウェさんを置いといて(いつものこと)、今みょーに気になってるっていうかどう解釈したもんか、と思ってるのはサラティです。サラティっつって分かるわけないですね。ルーミルや、君ナニユエに最初の文字はタテガキなん?ってとこです。テングワールはクウェンヤで「文字」って意味ですが、となるとサラティは「字」とかそういうニュアンスかなあ、と思ってます。いやしかし、本当に、タテガキがメインってどーゆーことだ。ルーミル、そんな謎を増やすなよ!そら私は本来タテガキ文化出身ではあるが今やすっかり思考の流れはヨコガキなんだぞ!(あ、でも本はタテが好き)しかしサラティ、上から下が一番普通、左から右も右から左もあって、挙句の果てには牛耕式(※1行ごとに左から右・右から左・左から右とうねうねうねと進むやりかた)だとぅ!?

 ………そんなん、ウチのルーミルからして、なーんも考えずに書き出したら紙が足りなくなって改行しなかったのに決まってる、とか思いつける辺りどうなの、キャラ設定絶妙ってことなの、いばっていいの…?(爆)っつかそんなふうに読む方向が書く時々でバラバラで、しかもテングワールのテフタがちゃんと「ここに来ます!」って決まってるのに対して、サラティの母音と来たら縦書きの時左か右、横書きの時上か下って、どんだけザルなんだよルーミル…。そんなんではご本人すら読めたかあやしいではないか。フェアノールが大幅に(ほぼ原型を留めずに)改良しまくるわけですな。エレンミーレが覗き込んで(または横で見ていて)「全然わからん…」となるわけですな。

 今日の百人一首。

 わが庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
 (さてさて、世を嫌っているとは言っていないのだけどね!)

 作者・喜撰法師(きせんほうし)。謎のひと。六歌仙のひとりなのに、記録ゼロでなーんにも分かってない法師です。この歌と、あと1首しか歌もありません。どんくらい謎かというと、「あいつ、なんかいきなり仙人になって雲の上いっちゃったんだぜ」とかいう噂っつーか伝説が出来るくらいです(爆)。

 肝心の歌はというと、ちゃんと訳すなら「私の住まいは都の東南・宇治山にあって、世間の人はこの山を私が世の中を嫌って(憂しと)隠れ住んでいる山だ、だから宇治山なのだと言っているそうだ」って感じですかね。実際喜撰がどう思って住んでいたのかは分かりませんが、わざわざこうやって歌に詠むくらいですから、別に世を憂しとは思ってないんじゃないでしょーか。ちなみに「しかぞ住む」は「こうして住んでいる」の意味と「鹿が住んでいる」の意味と、どっちにもとれます。どっち説もあります。ていうか山なんだからどっちでも良い気もします。でも鹿まで盛り込むと、長々しい歌意が余計めんどくさいなぁ…(爆)。
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