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ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



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 思想と信仰と宗教と政治は薬指と小指みたいな関係で、しかしまあ現実世界を考えるには日々のんべんだらりと生きていきたい小市民には荷が勝ちすぎます。ですからファンタジーに仮託して考える。とはいえファンタジーすべてに寓意があるというわけではないのですが。っつかもはや寓意って読み手の問題じゃね?書き手の意思はある程度どこぞにフッ飛んでしまわない?………とりあえず束教授は「いかなる寓意も含まず」的なことをゆっとりましたな。

 民衆の理想としては政治がちゃんとしてるなら(≒自分に有利であれば≒少なくとも不利ではないなら)指導者の思想やら信仰やら宗教やらは結構どうでもいい所だと思うのです。しかしこの「ちゃんとしてる」定義が有利不利に触れるのならば、少なくとも思想やら信仰やら宗教の押し付けは意にそぐわぬことかもしれなくて、つまり不利の確率は高い。そうなるとやれあいつの思想はどうだのこの信仰はこうだの言う不満がぱあーっと溢れるのですよね。ああ日本語ぐちゃぐちゃだあ。

 ウチの某頻出単語さんはですね、その仕組みたるものをよーく分かった上で、大雑把な多数決思考にそぐうような政策(?)をばしばし打ち立て、かつ謎のカリスマで少数の不満分子(というよりも、あっれー?って疑問)をなかったことにしていったわけです。しかしある日、ソレ続けてくの突然イヤになっちゃった。だって生きてますもの。もう知らない。私やーめたっ。でもやめてもやめてもやめきれない。ああストレス。ぷっつん。そういう流れで無かったとは言い切れなーいっ。

 今日は真っ赤なおやすみでしたが父上のスーツとか作りにちょっと遠出したり、ばば様ん家にこども服取りにいったりしました。ウワー1歳児くらい用の服ってちっちゃーい。

 ところで今猛烈に「きりひと賛歌」が読みたい。きっと戦場の医者ってものを深く考えすぎたからだと思う。しかしそちら方面を突き詰めておきながらいざファンタジー文脈に戻ってこようとすると、医者の地位の、時代上での変化の波にざっぱーんとさらわれそうな雰囲気でもある。もしくはそこなのかなぁ。王にして賤民。生と死。
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