ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言
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ていうか、うちのメルコに言わせればノルド王=フィンウェさんなわけですが、ろめ的にはエレイニオンもノルド王と呼んで良い。逆にフィナルフィンは呼べない。何そのめんどくさい分類。
組織的頂点のあたり話に書くと頂点の悲哀を書くのはもはや当たり前なわけですが、その悲哀の大半は孤独であることからくるものであります。その立場にはなってみないとわからない。挙句本当は、とある王者の孤独などは立場だけを同じくしたってわからない。
そういう意味でろめのフィンウェさんは何かしらちょこっとエレイニオンに甘い部分があるような気がする。そらもちろん可愛いひ孫ですが、そういうのとも違うちょっと友人っぽい甘やかし。そんなイメージで、なんでかなあと思ったら多分それは「ノルド王」なくくりなんだろうなあとふと思ったわけです。また別の意味でエルロスと会えていたらそれはそれで甘い部分があったような。そっちは「始祖王」なんだろうなあきっと。
組織的頂点のあたり話に書くと頂点の悲哀を書くのはもはや当たり前なわけですが、その悲哀の大半は孤独であることからくるものであります。その立場にはなってみないとわからない。挙句本当は、とある王者の孤独などは立場だけを同じくしたってわからない。
そういう意味でろめのフィンウェさんは何かしらちょこっとエレイニオンに甘い部分があるような気がする。そらもちろん可愛いひ孫ですが、そういうのとも違うちょっと友人っぽい甘やかし。そんなイメージで、なんでかなあと思ったら多分それは「ノルド王」なくくりなんだろうなあとふと思ったわけです。また別の意味でエルロスと会えていたらそれはそれで甘い部分があったような。そっちは「始祖王」なんだろうなあきっと。
ていうか、うちのメルコに言わせればノルド王=フィンウェさんなわけですが、ろめ的にはエレイニオンもノルド王と呼んで良い。逆にフィナルフィンは呼べない。何そのめんどくさい分類。
組織的頂点のあたり話に書くと頂点の悲哀を書くのはもはや当たり前なわけですが、その悲哀の大半は孤独であることからくるものであります。その立場にはなってみないとわからない。挙句本当は、とある王者の孤独などは立場だけを同じくしたってわからない。
そういう意味でろめのフィンウェさんは何かしらちょこっとエレイニオンに甘い部分があるような気がする。そらもちろん可愛いひ孫ですが、そういうのとも違うちょっと友人っぽい甘やかし。そんなイメージで、なんでかなあと思ったら多分それは「ノルド王」なくくりなんだろうなあとふと思ったわけです。また別の意味でエルロスと会えていたらそれはそれで甘い部分があったような。そっちは「始祖王」なんだろうなあきっと。
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そういう意味でろめのフィンウェさんは何かしらちょこっとエレイニオンに甘い部分があるような気がする。そらもちろん可愛いひ孫ですが、そういうのとも違うちょっと友人っぽい甘やかし。そんなイメージで、なんでかなあと思ったら多分それは「ノルド王」なくくりなんだろうなあとふと思ったわけです。また別の意味でエルロスと会えていたらそれはそれで甘い部分があったような。そっちは「始祖王」なんだろうなあきっと。
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