ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言
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「不滅の棘」というタイトルでフィンウェさんのフィンウェさんによるフィンウェさんのためのフィンウェさん話を書きたくて仕方ありません。いやー、タイトルに著作権がなくって良かった(おい)。「不滅の棘」は宝塚にてカレル・チャペックの「ヴィエッツ・マクロプロス」を上演した時のタイトルです。面白いですよ、原作戯曲の「マクロプロス事件」。最近の関心事がエルフで、彼ら寿命がありませんからなんというか考えるには微妙な問題ですが、「もし人間が300年の不老を手に入れることができたなら、どうするか」という問題を取り扱った…解釈は多々あれど本来は…喜劇、です。別に悲劇でもいいけどさ。私はこの戯曲を、叶うならば手塚治虫の漫画で読んでみたかった。いやこれは繰言ですが。
今日は昨日に微妙に引き続き、「ファザコンエルフはいかにしてファザコンになったかについての父上の罪」について考えておりました。ええ、悪いのは父上です。
ノルドールって愛されないと生きていけないんだと思いました。対してヴァンヤールとテレリは愛さないと生きていけないんだなぁとか。ま、それは逆に愛したいと愛されたいの欲求の裏返しではあるんですが。しかもノルドは、本当だったら「好きなひとに愛される一番」でありたいのです。一番じゃなかったらないのと同じ、くらい短絡的突撃的な思考であるように思われます。特にフェアノールね…。フェアノールに関しては、大半「フィンウェさんが悪い!」で私の中では片付いてるんですけど、じゃあ一体どんなふうにフィンウェさんが悪いかというと、いやそれはそれで仕方なかったんじゃない?と弁護の方向に向かうというか。ああ愛がねじくれている。
だってあのひと、ずるいんですよ。愛されてる相手しか愛してなかったんですよ。いつだって思いっきり愛されてて、愛されてるのをわかってて愛してる。それはもうすっごい小ちゃい時からの当たり前のことで、しかも多情薄情な性質で「一番に愛する」がわからないものだから、「愛を失う恐怖」「愛が減る恐怖」というものをさっぱりわかってない。だからいかに「一番に愛して」って言われても意味がわからない。なんか欠けてます。
ミーリエルは自覚ないけど「愛される一番」にほとんど近い「永遠」な位置を占めてるんです。インディスはそれをわかっていて、でも「世界で一番愛する一番」になれると思った。心意気ではフェアノールにだって勝ちます、インディスは。ていうか実際世界で一番フィンウェさんを愛してるのはインディスだと思うよ。あれやこれやの悩みもないし、ヴァンヤだから定めたひとりに注ぐ愛はものすごいのです。
さてフィンウェさんの愛というのは多情薄情なうえに取り扱い危険物です。だって「一番に愛する」ことがわかんないひとが、無自覚に90パーセントくらいの愛情をどかーんと注いでるとしますよ、たったひとりに。そのひとりからしてみれば、最初に受け取った愛情の量がそんなな以上、多情薄情性質が表れて、愛の対象がどんどん拡大するにつれ、減ったとか移ったとか思うのは最早仕方ないことではないかと思います。全員にまんべんなく多情薄情なら、単なる博愛主義で終われるというのに、フィンウェさんたら生涯でふたりには恐ろしく愛を振り向けてた時期がありますね。ミーリエルとフェアノールに。愛情の分量なんかに無自覚で「順位なんてつけられない」とかほざく方なのです、無意識です。仕方ないが辛いところ。
特になんというか運が悪いのはフェアノールであって。ミーリエルはまだ「愛されてるから愛し返した」段階だったから、そしてついでにミーリエルが実にノルドらしいノルドなわりにめちゃくちゃ冷静にエゴを通してくれたので、どうにかなってるわけです。お互い辛いんですが、逃げ続けることで永遠になったわけです(何を言いたいんだか混乱してきました)。で、運が悪いのはフェアノールです。超危険物フィンウェさんの愛を、生まれた瞬間から、いやむしろ生まれる前からイヤというほど浴びてしまったことがハッキリ言えばもう不運ですよ。不幸ですよ。だって唯一「愛される前に愛した」わけですよ。逃げたいような逃げられないけど逃げたくないっていうか、父であり母であり世界すべてから、離れたいけど離れたら生きていけない。
多情薄情相手に「愛される一番」であり続けるのはめっちゃくちゃ消耗しますね。恐怖ですね。今日はまだ愛されてたけど明日はダメかもしれないですね。厄介ですね。それを気にしないくらい豪胆ならいいんですけど、あいにくやたらと神経繊細で過敏な氏族なわけです、ノルドール。傷だらけ。
そんなこと考えながら今日もぐだぐだと過ぎました。レポート…めぇえ…(君はヤギか)。ところで、こどもって、親の足りない性質や思いつかないビックリこんなやり方あったのか、を気づかせるために生まれてくるそうですよ?……いや、正しく造形できてるようなダメなような。
今日は昨日に微妙に引き続き、「ファザコンエルフはいかにしてファザコンになったかについての父上の罪」について考えておりました。ええ、悪いのは父上です。
ノルドールって愛されないと生きていけないんだと思いました。対してヴァンヤールとテレリは愛さないと生きていけないんだなぁとか。ま、それは逆に愛したいと愛されたいの欲求の裏返しではあるんですが。しかもノルドは、本当だったら「好きなひとに愛される一番」でありたいのです。一番じゃなかったらないのと同じ、くらい短絡的突撃的な思考であるように思われます。特にフェアノールね…。フェアノールに関しては、大半「フィンウェさんが悪い!」で私の中では片付いてるんですけど、じゃあ一体どんなふうにフィンウェさんが悪いかというと、いやそれはそれで仕方なかったんじゃない?と弁護の方向に向かうというか。ああ愛がねじくれている。
だってあのひと、ずるいんですよ。愛されてる相手しか愛してなかったんですよ。いつだって思いっきり愛されてて、愛されてるのをわかってて愛してる。それはもうすっごい小ちゃい時からの当たり前のことで、しかも多情薄情な性質で「一番に愛する」がわからないものだから、「愛を失う恐怖」「愛が減る恐怖」というものをさっぱりわかってない。だからいかに「一番に愛して」って言われても意味がわからない。なんか欠けてます。
ミーリエルは自覚ないけど「愛される一番」にほとんど近い「永遠」な位置を占めてるんです。インディスはそれをわかっていて、でも「世界で一番愛する一番」になれると思った。心意気ではフェアノールにだって勝ちます、インディスは。ていうか実際世界で一番フィンウェさんを愛してるのはインディスだと思うよ。あれやこれやの悩みもないし、ヴァンヤだから定めたひとりに注ぐ愛はものすごいのです。
さてフィンウェさんの愛というのは多情薄情なうえに取り扱い危険物です。だって「一番に愛する」ことがわかんないひとが、無自覚に90パーセントくらいの愛情をどかーんと注いでるとしますよ、たったひとりに。そのひとりからしてみれば、最初に受け取った愛情の量がそんなな以上、多情薄情性質が表れて、愛の対象がどんどん拡大するにつれ、減ったとか移ったとか思うのは最早仕方ないことではないかと思います。全員にまんべんなく多情薄情なら、単なる博愛主義で終われるというのに、フィンウェさんたら生涯でふたりには恐ろしく愛を振り向けてた時期がありますね。ミーリエルとフェアノールに。愛情の分量なんかに無自覚で「順位なんてつけられない」とかほざく方なのです、無意識です。仕方ないが辛いところ。
特になんというか運が悪いのはフェアノールであって。ミーリエルはまだ「愛されてるから愛し返した」段階だったから、そしてついでにミーリエルが実にノルドらしいノルドなわりにめちゃくちゃ冷静にエゴを通してくれたので、どうにかなってるわけです。お互い辛いんですが、逃げ続けることで永遠になったわけです(何を言いたいんだか混乱してきました)。で、運が悪いのはフェアノールです。超危険物フィンウェさんの愛を、生まれた瞬間から、いやむしろ生まれる前からイヤというほど浴びてしまったことがハッキリ言えばもう不運ですよ。不幸ですよ。だって唯一「愛される前に愛した」わけですよ。逃げたいような逃げられないけど逃げたくないっていうか、父であり母であり世界すべてから、離れたいけど離れたら生きていけない。
多情薄情相手に「愛される一番」であり続けるのはめっちゃくちゃ消耗しますね。恐怖ですね。今日はまだ愛されてたけど明日はダメかもしれないですね。厄介ですね。それを気にしないくらい豪胆ならいいんですけど、あいにくやたらと神経繊細で過敏な氏族なわけです、ノルドール。傷だらけ。
そんなこと考えながら今日もぐだぐだと過ぎました。レポート…めぇえ…(君はヤギか)。ところで、こどもって、親の足りない性質や思いつかないビックリこんなやり方あったのか、を気づかせるために生まれてくるそうですよ?……いや、正しく造形できてるようなダメなような。
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