忍者ブログ
ろめ日々の雑記=すなわちその日どんなネタを考えていたか、と化している妄想屋の日々の戯言



[839]  [838]  [837]  [836]  [835]  [834]  [833]  [832]  [831]  [830]  [829
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 と言えばワーグナーのオペラで有名になりました円卓の騎士のパーシヴァルですけれどもおいちょっと待てお前の本名はそれか普段のアレは通称かそうなのか、よぉおぉぉ!?なサー・パーシー・ブレイクニーまたの名を紅はこべつまりスカーレット・ピンパーネルってなわけで『THE SCARLET PIMPERNEL』観てきましたよやぁっと観れた!!

 ワタクシ原作をこよなく愛するだけに、ベツモノ別物と暗示かけつつ観てきました。確かに別物ー!でも面白いっ。原作と舞台どっちも一長一短って感じ?そらま、あの原作そのまんま舞台でやるには無理があろう。映画ならともかく。

 あのパーシーには原作のような過去はあるまい。確かに、ちゃんと愛し方を知ってる愛されて育ったひとに見えるもん。まあその分素直っていうかコドモなところもあって、マルグリットへの疑い方はまさにコドモとしか言い様がございません。怖がってないでちゃんと確かめなさいよね。でも新婚だから仕方ないっかぁ…。しかも最後の夫婦の会話は家でやれでちゃんと反省していたようだから良しとしますか。原作だと大分虚無的な上司的な感じですから、仲間に対しても…や、原作のあのひと何気に超ワンマンだよね?それで言うとアットホームなピンパーネル団で良いんじゃないでしょうか。秘密守れてない感ひしひしと致しますが。それも良かろう、だってショーヴランが素直ないいこだから(笑)。あんな青々しい戦いだとは思ってもみなかったわ!だって年齢全然違うし、いやすごーく美味しいんだが!本当に!

 ショーヴランが本当に純粋に素直ないいこなので、ラストはうわー微妙ーとか思いました。でも辛うじて逃げ道あるっていうか、一応「グラパンがスカーレットピンパーネルでした」と伝わってて「んでこれがそのグラパン、スカーレットピンパーネルです」ってショーヴランが連れて来られるわけでしょ?んでもグラパンとショーヴランが一緒にいたところはばっちり目撃してるわけですから、図式としてはスカーレットピンパーネル=ショーヴラン、グラパン=ショーヴランの部下みたいなことになってるわけで、限りなく黒に近い灰色扱いなわけですよね。しかし、パーシーがスカーレットピンパーネルですってのはまず信じてもらえませんね。そして自分の無実を晴らすのも超難しいですね。そうであるってことを証明するより、そうではないってことを証明する方が大変です。……ショーヴランやい、君って子は本当に素直っつーか純粋っつーか単純っつーか…ちろっと思ったのはどっちにしろ何にせよ、ロベスピエールの部下である以上、先行きすげー暗いってことでしょうか。

 原作はそこまで決定的にやらかしてはいませんが、騙し騙され欺いて、正々堂々勝負ではない以上、結局紅はこべは王道なヒーローではないのですよ。まあなんていうか、舞台のパーシーがスーパーマン(ちょっと待てー!?)だったとしたら原作のパーシーはバットマンだよね(おいおいおい)(最近何してるのか丸分かりな発言)。んな戯言はさておいて、聞いてたけど、知ってたけど、本人の口から「パーシヴァル」って名乗られるとなんかずきゅんときちゃいましたよ。

 パーシヴァルと言えば聖杯の騎士パーシヴァル。ガラハッドが完全無欠の完璧神的聖杯の騎士だとしたら、パーシヴァルは何せ聖なる愚者ですから、まだちょっと手の届きそうな聖杯の騎士。しかも彼は版によっては聖杯の乙女ブランシュフルールと結婚して(この名前がまた微妙にネタだよ(笑))ローエングリンをもうけてますからね。なんてまぁ地位も名誉も全てを手に入れてしかも生き残ってるんだ、パー坊!(そんな呼び方するなぃ)(だって私はガゥが彼の父派)(そんなまた3世代癖出さんでも…)そんな彼賛歌はともかく、騎士パーシヴァルは聖杯の騎士という栄誉を後に手に入れることとなりますが、そもそも宮廷に初めて来たときは世間も常識も知らない、無垢すぎる愚か者。彼の愚かなところは「無知」でありました。

 今回舞台でパーシーがパーシヴァルと名乗っててすごく思ってしまったのは、原作を原語で読めてないので何とも言いがたいところもありますが、もしそれが本当に彼の本名であるとしたら、小説の登場人物の名前としてそれを決めるあたり、何かこう物語的作為を非常に感じるぞ、というところです。小説上ではもちろん読者は読み進めてマルグリットと共にサー・パーシーが紅はこべであることを知るわけですが、もしもパーシー=パーシヴァルが結びついていたなら、あの愚かしいサー・パーシーの振る舞いを眺めながら、「しかし彼は後に偉大なことを成し遂げる」という一種奇妙な確信を覚えるひとがいたって良いと思うのです。こっそり紅はこべ示唆というか。や、それも考えすぎだろって話なんですが。でもほら、有名人の名前ってやっぱりその有名人のイメージが強くていろいろ考えるじゃないですか。とりあえずパーシヴァルは説にもよりますけどちゃんと聖杯探求を成し遂げた騎士の名として知られているわけです、英語圏キリスト教徒には。ですからそんな小説上の仕掛けがあってもいいんじゃん?などと、ぐちゃぐちゃと。

 今回舞台上ではそれ名乗るのがルイ・シャルルに対してなんですよね。そら単にフランス王太子に敬意をはらってちゃんと通称でなくて本名名乗っただけかもしれませんが、もし(まあ超~可能性は低いんですけど)王太子が聖杯の騎士パーシヴァルを知っていたとしたら、もうなんかこのひと絶対助けてくれるっていうか騎士さまだ!みたいな確信を抱いてもいいと思うんです。何せパーシヴァル(こだわるな~)。

 そんな妄想はさておき…。どこの宮廷かと言われる広い庭園での恋人同士の寄り添い方品評会みたいなあの場面も好きですし、「私もシマウマのドレスを作れば良かった!」と言い放つマルグリットには超どっきゅーんときました。パーシー、パーシーちょっとそこのおバカさん!あなたの妻あなたのことをなんかすごく愛してるんじゃありませんこと!?と肩掴んでガクガクゆすぶってやりたくなりました。えええ。なあ。あんたがシマウマ着てるからって私もシマウマ着るわと言っちゃうかわいこちゃん、たとえそれが異国に嫁いで初めての王室ご招待の舞踏会で何着たらいいのかよくわかんないという不安=夫と合わせときゃ平気だろ的考えから8割方来ていたとしてもだ!ある意味すごい愛ではないのか、おい!……あ、歌いながら着るテキトー上着のシマウマも結構好きです。ピンクのおリボンが特にアホらしくて(笑)。でも舞踏会のシマウマ結構かっこいいよね(笑)。

 原作と一番違うのは、登場人物の性格もさることながら「時間」だと思うのですよ。パーシーとマルグリット、新婚早々あんなにどばどば事件が起きて真相が知れて、っていうかスカーレットピンパーネル団結成遅っ!(いや正確に言うと増員)ってな感じなので、まだ二人の愛も修復効くっていうか、愛にはつき物の最初の荒波っていうか(だってさくっと結婚してるんだろ、このふたり?)。ま、ある意味三角関係で、結婚したけど夫婦としてもまだ全然なんにも何も…って感じの、正直言ってすごく若いふたりなだけに、まあ今後もいろいろ起きるかもしれんが大丈夫なんじゃないかな、とりあえず、今から愛し始めればいいよ、とか思いました。

 ………私、原作で好きなのはやっぱりあの夫婦のすれ違いっぷりというか、おいこら修復せずに(できずに)2年も経ってたのかい、というところなんですね(えー)。だからある意味超わかりやすい舞台でのいざこざは、「あー」という感じであんまり反応しなかったんですが(しかしシマウマには反応(爆))。逆に、というか、比較してみておかげで、原作の何にきゅんきゅん来てるのかは分かった気がします。面倒な話なので「つづき」で。紅はこべ読んでなきゃ面白くもなんともない(笑)。いつものエセ論文ちっくな語りになりますから。

 ちなみに今日は帰ってきたら父上に「出かけてたの?」とビックリされ(えー今3時なんですけど、よもや父は私が今まで寝てたとか思ってるのかよー)、その後空耳姉の新居(また引っ越しました)にグレゴリーで行く最中に大雨降りだし雷は鳴りまくりのタイヘンなことになりつつ荷物運びに専念しました。やだもう明日が近いっ。…がんばります。

 さてつづきは私はなぜ原作『紅はこべ』が好きなのか語ります(あらら)。

 原作の『紅はこべ』を読んでて、私、パーシーとマルグリットは結構歳の差夫婦だと思ってたんです(誤解)。それは、パーシーがなんかとっても大人に見えて、マルグリットがとってもコドモに見えたからなんですけど。

 原作のアルマンはマルグリットの兄なわけですが、またこれがいい男でな!(何いきなり説得口調)むしろ兄というより、マルグリットの愛しぶり頼りぶりは最早父。ブラコンの妹ってよりファザコンの娘的心配と甘えと頼りな気がするのです。……そしてなんというか、マルグリットの目を通してのアルマンと、まだ正体を知らない紅はこべは似ている。

 マルグリットは「ヨーロッパ1の才媛」「あんな賢い、美貌の女が、どうしてあの愚鈍なサー・パーシーと結婚したかわからない(ていうか金の力だろ)」とか言われてます。それに対して一抹の空しさを覚えつつ、でもパーシーは私を多分愛しているし、自由にさせているし、これで良いんだわと思っています。んでもって、パーシーを邪険にしたりする。結婚生活は不幸だと思いつつも手放さないのは、少なくともこの立場にいれば、兄に余計な心配はかけないと思っているからでしょう。

 つまり、マルグリットは最初、なんというか父親的庇護の下で成長してきて、別の男(パーシー)も父親的庇護を感じさせる男であったから(求婚の情熱と、家柄の良さと金の多さ)結婚したのだと思います。本当はアルマンがいるからこのままでいたいけれど、アルマンも恋した娘がいて(そしてそれを拒絶され貶められたがゆえにマルグリットもキレてしまうわけですが)、じゃあ私は離れなきゃダメねと薄ら悟っているところに新しい父親的庇護をくれそうな男が情熱的に求婚してきてかなりぐらっときたからウィと言った、んだと思うんですよ。情熱には少し思うところあったのかもしれません。そんなブラコン現象を微妙に自覚していたでしょうから、もしかしたら新しい関係が築けるのかもしれないとか思っていたかもしれません。

 しかしまぁ結婚してすぐに件のキレて貴族をひとりギロチン行きにしちゃったよ事件が噂として知れた時、パーシーは大人な対応をしようと思って説明してくれって言った、のにも関わらず、マルグリットったら全然全く説明せずにぷいっとアルマンの所に行っちゃった、らしいのですね。で、数ヶ月も戻ってこなかったと(笑)。んでもって2年間の冷え切った夫婦生活(いきなり別居から始まり当然寝室は別の、社交界には夫婦で行くけど、な微妙~な関係)が続き、紅はこべはせっせと活動しており、発覚事件につながるわけですが。

 さて、そんなマルグリットに対応するパーシーはどんなもんかと申しますと、彼は息子であるからしてマザコンです。自分の執務室にでーっかい母の肖像(ちなみに顔は非常に良くパーシーと似ている)をかけている。ちなみにその母は精神錯乱してお亡くなりになり、父も看病疲れと繊細さゆえにさっさとお亡くなりになっています。そして両親の愛情に飢え飢えで育った。馬鹿のふりしてますが、実は非常に頭が良いので、なんかちょっとワンマン気味ですが、立派な紳士には育ちました。ものすっごく淋しんぼうなところを奥底に隠して。

 パーシーは、ちらっと描かれる両親に非常に似ているように書かれていると思います。母と顔が似ているのはばっちり書かれていて、精神の繊細さもおそらく母ゆずり、そしてマルグリットへの求婚ぶりや、紅はこべとして命まで賭けての活動をしてしまう感じは多分、父似なのでしょう。ひとつのものにまっしぐら一直線他のものは省みないタイプの流れ。で、すごく、愛情に飢えている。ぶっちゃけ紅はこべ活動も実をいうと「誰か認めて!」な感覚の現れなんじゃないかとか思うんですよね、原作のパーシーって。馬鹿のふりをしつつもファッションリーダーではあるあたりも、なんとも隠れ蓑だけとはちょっと言い切れない、居場所確保行動な気もします。

 やだもう、だからパーシー好きなんじゃん私(超好みが丸分かり)。

 それはさておき、そんなパーシーが、ほんとの奥底にあるパーシーを愛してくれるんじゃないかと思った相手がマルグリットなわけですね。でも結婚して早々に嫌な噂は聞いたし、尋ねたら置き去りにして実家に帰られた。結ばれたと思ったらいきなり見捨てられた。パーシーは頭の良い子ですから割り切って立ち直ってみたけど、やっぱりマルグリットが好きで好きで好きでたまらない情熱家でもあるので、どこかでずっと期待していて、その期待を無碍にされ続けてきたわけです。

 で、マルグリットも見込まれるだけあって(というか、結局はやっぱ運命の恋人なんだろうなぁ)パーシーとの関係はどこか違うわとはずっと思ってる。でも自尊心のたっかいひとですから、なんか負けた気がして今までずっと何も行動してない。さらに夢見がちな部分はしっかり持っていて、紅はこべって素敵ねと思っている。本当はパーシーが好き!って言いたい。でもパーシーの普段の言動があまりにバカっぽいので、こんなん好きって言うのは私のプライドが許さないわと思っている。紅はこべみたいなひとだったら堂々と好きって言えるのにー。でも求婚時代の夫は少なくともちょっとは紅はこべ的なところがあったわ(※この紅はこべ的なところというのはあくまでもマルグリットのイメージ、つまりは実はマルグリットが今まで経験したことから作り上げたもの)。あのひと、変わってしまったわ…。

 そして2年、事件は起きて、やっとこさこの夫婦は色々語り合うわけです。

 マルグリットは事件に直面して、ずっと父親的庇護の下でのうのうと暮らしていたのを、やめるわけです。自分で動かなくてはいけない。じゃなきゃ兄を助けられない。自分で考えて自分で行動する、その対象が兄を助けたいのみならず、今までその庇護の下にいた夫になって、かつそれは保身のためではないってところが、マルグリットがちゃんとパーシーを対等のひととして、もっと言えば母親的庇護の感情で認めたとこだと思います。で、それは完全に不平等だった天秤を均衡に持ってくことになった。パーシーが父親的庇護を与えてくるなら、マルグリットは彼に母親的庇護で応えなくてはなりませんよ。何せ相手は超さびしんぼのコドモを隠してる大人ですから。

 そんな関係、感じちゃったから、私、原作、超好き(笑)。

 ていうかもう端々にマルグリットはパーシーが好きーってのが読み取れるんですよねーもうほんっと面白い。マルグリット視点がかなり多いのでパーシーの考えは推測するしかないんですが、いやもうそれもいっそ面白い。

 何言いたいんだかちょっと良くわかりませんが、いや、面白いですよ紅はこべ。読むなら旧訳をおすすめします。確かに古い訳ですが、何せ完訳。言葉の古さももういっそ癖になります(笑)。
この記事にコメントする
Name
Title
Color
Adress
URL
Comment
Pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
忍者ブログ   [PR]
 
PR